福岡孝行

長年書いてきたスキーのページを閉じることにしました。

最後は、やはり福岡孝行先生のことを書くことにします。先生からの受け売りが大半を占める私としては、当然のことかも知れませんね。2021年の第75回リーゼンスラローム大会に書いたことと重複しますが、ご容赦ください。

折しも先日、先生の記念誌「福岡孝行伝」が完成しました。この本はご長男の孝純氏が、主に先生と白馬の繋がりのことを、書かれたようです。孝純氏は、執筆に10年かかったとおっしゃっていましたが、完成までには大変なご苦労があったと推察されます。

私がこの本を手にするのは、もう少し先になりますが、表紙は拝見しました。優しい感じです。この本のページを開くのが楽しみです。

まだ、読んでいない私がいうのも変ですが、八方尾根スキースクールの指導員の方々には、是非とも手に取っていただきたいと思っています。

私たちがいつもバンバン飛ばしている、リーゼンスラロームコースの生みの親でもあり、地元スキーヤーの師でもありました。先生のスキー理論とその実践指導の影響によって、白馬から多くの競技選手やスキー指導にあたる者が生まれていきました。

70才以上のスキー指導者だった方は覚えていると思いますが、一時、世界を二分するスキー技術論争がありました。オーストリアスキー技術か、フランススキー技術か、どちらを主流にするかという論争です。日本のスキー界も同じで、混乱していました。当時はフランス流の、力でひねるスキーが主流だったのを、先生は、ひねらないでスキーに乗り、外傾姿勢ですべるスキー技術を紹介し、ひねらず舵取りによるスキーを、日本全国に伝え、混乱を鎮静化し、スキー普及に尽力しました。白馬はオーストリア・メソッドで貫き、スキー技術に何の混乱も起きませんでした。

先生は、結果的に体の負担が少なく、安全で楽な身体の使い方のできるスキー操作を可能にしたかったのだと思います。

どうか先生の思想を、未来に伝え続けていって下さい。たとえ周りが違った方向に行ったとしても、八方だけは偉大な先生の遺志を継いでいくことを心から願います。

また、八方尾根を滑られる方たちも、福岡孝行氏のことを知っていただき、忘れないでいただきたいと思っています。(2023年10月25日 サダハル)