和して同ぜず

日本人の運動能力は、世界のトップクラスに位置していると思っています。

良い指導者が育ち環境が整えば、どのスポーツも世界のトップにいられるでしょう。

その時には、日本の縦社会は無くなっていて、コーチと選手は対等に意見を言い合える様になっていることでしょう。

しかし、スキー界は、良い方向に向くとは思えません。

何故かと言うと、号令ひとつで「全員同じ滑りをさせる」という、まるで軍隊と同じ感じがするからです。

人間を平均化してしまうような事は、「絶対にやってはいけないこと」だと思います。

個性をつぶし、全員同じ方向を向かせる組織に未来はありません。

 

1990年代までの、スキーヤー(デモも含む)は個性がありました。「急ヴェーの誰々」とか「悪雪の○○」と呼ばれるデモが、何人もいました。

ところが、いつの間にか金太郎飴みたいに、どこで切っても同じ顔というように、皆が同じ滑りをするようになっていきました。

たしかに「デモンストレーター」と言うのは、「模範演技者」と云うことですから、言われたことを的確に演技すれば良いわけです。

デモ、それだけでは駄目なのです。私達は、誰一人として同じ人間ではない、同じスキーヤーではないのです。

上からの言いなりの技術で滑っていれば、自分で考えることをしないで済むから、楽だとは思いますが、しかし、その組織の発展は望めません。

違う意見を自由に述べられ、話し合う環境が必要だと思います。

私たちは、最初は他を真似ても、自分にしか出来ない事を探すことが大事だと思います。それが、「トッププレイヤー」と呼ばれる人だと思います。

 

いくら「同じ場所で同じように学び、同じ道を同じ方向に向かって歩み始めても、」自分にしか出来ないことを、探し続けていくしかない、と思います。

そうすることが、自然な動きを手に入れることの近道だと思います。

「烏合の衆」にならず、個の表出を恐れることがなくなれば、ほんもののスキーヤーに成れるでしょう。

 

過去に書いた「偽りの正しい動き・似て非なるもの・個となる」も、同じことを書いていますね。(2020年5月7日 サダハル)