似て非なるもの

最近になって私の滑りを探る方が多くなり、嬉しく思っています。私があまりにも軽く滑るので、身体の使い方を皆さんが見過ごしていたのだと感じていました。

雪の表面を滑り、雪の中に沈まないターンに見えるようです。春のザクザクの雪質でも同じように滑るのが、不思議なようです。

今の上級者やデモンストレーターのように、雪面の中に深くはっきりとしたシュプールは描けていません。

65歳を過ぎたジジイが滑っているのですから、「力」で滑ることが出来ないので、細く薄いラインが雪面についている程度だと思います。

しかし私は、スキーをする為の「状態」を知っています。その状態を無理なく維持することが出来るようになったので、身体の「つながり」を解かないようにして、全身を同時並列に様々な方向に動かすことを試しています。

今年、インドのオリンピック選手を教える機会がありました。通訳にお願いした方が私の滑りを見て一言、「浮いている」と言っていました。そう見えるのでしょう。だって、大回転位のスピードでも「踏ん張っていない」のですから。動きの質が、大分良い様に変化してきたのを感じています。

どのスポーツも同じ人間が行っているのですから、その種目や種類によって身体の使い方が大きく違うはずがないと思い、探ってきました。

その結果、踊り・ダンスから球技等あらゆるスポーツに、身体の動きの共通していることが多くあることに気付きました。

これは、古武術の甲野善紀先生から始まり、韓氏意拳の光岡導師や関係する多くの方々との交流の中で学んだからこそだと思っています。

これらの方々から学んだ動きを、15年ほど前からスキーに取り入れました。スキーに応用したくて学んだ、というのが本音かも知れません。

古武術の動きをスキーに応用している方は数少ないと思います。少ないというか、私の知人だけだと思います。中でも意拳の感覚はスキーと同じです。

古武術等の身体の使い方を、SAJ組織の方も学んだ方がいるそうです。有名な方もいらっしゃるので、知っている方も多いと思います。とある講師が教えてくれました。しかし、組織を混乱させただけで終わりましたね。だって無理でしょう、学んだ動きを、自分が出来ないのですから。甲野先生も言っています「出来なければ無意味」と。

スキーの状態について、もう少し触れておきましょう。

状態は自然に近いものだと思っています。それは古い風にあたらないと、感じられないと思います。「いにしえの滑り」を学び、会得できないと上達の道はありえません。

世界のスキーから見ると、日本のスキーは「新しい」という事になるのでしょうか。しかし、この新しさは世界に通用しません。

2015年位までゲレンデで、「貞治さん、その滑りは古いですよ」と言われてきました。ひどい時は、嫌がらせをされた事もありました。これでは「日本のスキーが発展するはずがない」と思いながらも、どうする事も出来ませんでした。今も、どうこうするつもりは、ありませんけれどね。(2017年4月30日 サダハル)